Last Update: 2008/11/02
追加銘柄:*****
評価銘柄:「一升五百文」「一人蔵」
本サイトのメインコンテンツ(のはず)。
Last Update: 2010/05/08
フォトログ風の日常写真。
退屈なんか感じてる暇はないはずだぜbaby。
過去の写真も移植中。
Last Update: 不定期更新
普通にブログ。
文章を書き散らかす場所は今後ここに集約します。
Last Update: ちょこちょこ更新
写真でつながるSNS。ある意味他のどのコンテンツよりも個人情報を晒してます。どこで何をしてたかまるわかり。今はGR Digital3でそこらへんを撮りまくり人生。
Last Update: 勝手に更新
twitterのログ。
内容に見るべきところは特にありませんが、結果的にこれが日記代わりになっています。
ギャップ
先日「大阪あそ歩」という、あるテーマに沿って大阪の各地域を巡るツアーに参加した。私が参加したのは「オダサクの名作「夫婦善哉」の作品世界を歩く」というもので、だいたい10組くらいのご夫婦と共に、説明を聞きながら日本橋の黒門市場から法善寺横町までをぞろぞろと練り歩いた。内容もまあまあ興味深かったのだが、それよりも気になったのは他の参加者の方々。テーマがテーマだけにほとんどが60歳以上とおぼしき、定年退職後の夫婦といった風情だったのだが、見事なまでに会話がない。夫婦それぞれが別の方向にカメラを向けて黙々とパシャパシャやっている様子を見ていると、少々腹の底が冷え冷えとした。それだけならよくあることだろうけれど、帰宅してtwitterを見ていると、このツアーの参加者のうち数名がtwitterのアカウントを持っていて、妙に饒舌に、そしていかにも凄く楽しかったかのようにツアーの様子を綴っている。そこまで楽しんでいる風には見えなかったのだが。妙に若やいだtweetにも、その年齢相応の風貌の印象があるだけに違和感を持った。大いに偏見込みの印象だが、だいたい「ネット上でいかにも充実した生活を送っている」ことを殊更アピールする人は、多分どこか淋しいのではないかと思う。人々がネットで演じるキャラクターとリアルのギャップについては方々で語り尽くされているが、この落差を極力無くすことが大人の矜持だと考えている。・・どうでもいいことだが、法善寺横町の入口近くで何気なく撮ったこの写真の左下、さまぁ〜ずの大竹一樹じゃないか?
2010/05/08
2010/06/01
●GR BLOG;トラックバック企画「休日」、選定作品の一枚に選ばれましたわーい。スタッフの方々がここを見ているとは思えませんが感謝感謝でございます。しかしにゃんこ関係の写真ばかりが選ばれるのでございます。
2010/05/22
●久しぶりにblog更新。movable typeの使いにくさには相当倦んでいて、エントリーを投稿するのにも結構根性が要る。お手軽なはてなダイアリーなんかに乗り換えようかな。WordPressにも惹かれるが、またcssと格闘することを思うと腰がひけるな・・。
2010/05/08
●去る5/5、及川光博ツアーで踊りまくってきた。私が及川さんのDVDを買い出したのが丁度去年の今頃だったので、ツアーに参加するのは初めて。初参加の印象。思ったよりお客さんの年齢層高い!30代後半〜40代女性が多分最も多かった。20代っぽい感じの人はむしろ少ない。服装も7割くらいは地味な感じだった。及川さんも現在ジャスト40歳で、観客のマジョリティと同世代といえば同世代なのだが、ステージ上から観客席を見てどんな思いが去来するのだろうか。しかし「1ステ入魂」の宣言通りステージは一生懸命で、その前向きさに心打たれた。
2010/03/16
●内田樹「日本辺境論」読了。結局何が言いたいのかさっぱり判らなかった。我々日本人はどういう構えであるべきだと著者は考えているのか、全く判然としない。強いて言えば「日本人のこういう主体性のない生き方ってのもアリだと思うよ、でも最近は日本人の長所だった学ぶべきものを直感的に峻別するスキル、これが衰え気味だから何とかしないとね」くらいしか伝わってこない。主張が希薄だから、是も非も言い様がない。私は現在の新書ブームにほとんど辟易していて、この流行は人の知的コンプレックスを煽った上で(これだけ情報や知識が世に溢れている中、自分は世界を知らないんじゃないかと考えてしまうのは程度差はあれど自然な話だ)、アカデミックトリビアを効率よく提供し、なんとなく安心させるという構図のマッチポンプビジネスモデルだと捉えている。この本の約半分は、数多の日本人論からの引用や敷衍で成り立っており、そういう意味でこの本は、「なんとなく学んだ気にさせる」王道ビジネスモデルの一例であると言える。だから売れているのだろう。
2010/02/02
●今更ながら、土居健郎「「甘え」の構造」読了。40年前に出版された本だが、ここで述べられている「身内」と「外」を「「甘え」られるか否か」で峻別する日本人の特性は、今でも充分議論に値するトピックだと思う。「社会が複雑になって、どうやったらうまく甘えられるかそのルールの発見が困難になっている」というくだりは現在の孤独死や引きこもりの問題ともオーバーラップする。あと「欧米では言語的に一人称の使用が強制され、非常に早くから自我意識が目醒めさせられる」という文章を読んだ時には、はっとした。確かに欧米では「メアリー(=私)にメールしてね」などと、自分のことを名前で呼ぶ習いはないのではないか。この彼我の差は、何か重要なことを示唆している気がしてならない。
2010/01/10
●昨日「アバター」をIMAX 3Dで観た。この3D映写方式を有した映画館は全国で4館しかないという。他の3D方式で観ていないので比較はできないが、キャラの存在感は、文字通り、突出していた。フルCGのヒラメ顔異星人、「ナヴィ」のリアリティーは気持が悪くなるくらいだった。ストーリーも極めて上質なエンターテイメント。無駄なエピソードがなく、序盤のネタ振りが巧みに後半への伏線として繋がっているなど、ストーリーテリングの精緻さにも目を見張るものがあった。最後の活劇もメカマニア垂涎だろう。DVDで買ってまで見たいかと言われれば微妙ですけど。これは映画館で観るべき。かつてない視覚体験ができることは、(IMAX 3Dに関して言えば)保証できる。
2009/12/21
●先日、ちょっと呑む場所を探して、京都三条近辺の雑居ビルを廻ってみた。随分ニッチだなあと思ったのが"MOTHERS"というバー。木製のドアにはフランク・ザッパの写真が飾られていた。彼に心酔している人にはたまらない場所なのだろう。ドアを開けてみる勇気はなかった。そのビルの地下のバーに行くと、ロカビリー風にアレンジされた「ジュリアに傷心」をバックに踊りまくるおじさんおばさんたちがドア越しに見えて、これもなかなか鬼気迫るものがあった。勿論私は即座に踵を返した。
2009/12/04
●flickrに知らない方からメールから来ていて、これが私の写真をイラストの下絵として使わせて欲しいという丁重なお願いだった。いいですよいいですよと思いつつ先を読み進めると、「実のところイラストはすでにほぼ完成しています」とあって、イラストへのリンクが張られていた。元写真がこれで、イラストがこれ。素敵すぎるやん、と思わず呟いてしまう私。感激してしまった。こんなコラボなら何十回やってもいい。
2009/11/09
●江國香織「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」読了。短編集。最初の方に「この人とだとエッチが凄くて食欲も信じられないくらいになって(はぁと」のような短編があって、余程「リア充乙www」と放り投げてしまおうと思ったが我慢した。しかし読み進めるうち、受ける印象はどんどん変わっていく。読み終わって強引に全体をまとめると、全編、愛と不可分の喪失感を描いている、そう感じた。視点を変えて先の一編を読み直すと、能天気なストーリーも、喪失という予定調和に向かう助走期間を描いているかのように見えてくる。私たちは永遠の愛が幻想だと、知りすぎるくらい知っている。幻想に殉じることが結局自分自身を傷つけることになる、と判っていても、この作者は妥協できないのだろうな、と思ってしまったが、うーん、私が愛に対して懐疑的すぎるのだろうか。
2009/11/03
●谷崎潤一郎「文章読本」読了。書かれたのは昭和9年だが、本質は古びていない。言語体系から西欧と日本の文化の差に思いを馳せる箇所などは、今読んでも充分面白い。しかし内容もさることながら、名文の特質を説く文章そのものが、その理想を体現しているところが見物。平易かつ流麗、技巧に溺れず、滑らかに流れるようなこの筆致は一つの究極点だろう。黙読すると目が気持ちよく、試しに音読してみれば口が気持ちいい。余りに気持ちいいものでつい2回通して読んでしまった。良き文章を読むことは悦楽なんだということを、この本は身をもって教えてくれる。
2009/10/11
●流行もの、外山滋比古「思考の整理学」読了。結局情報や思考の整理に王道はなく、遠回りでも自分の手をふんだんに使うしかないという論旨で、しかも古い本だからPCを駆使した整理法などに言及があるわけもない。それでも今こういう本が売れているのは、情報の氾濫にいささか疲れを感じていること、そして「自前の」思考を拵える道はツールの進化に関わらず本質的に不変であると感じていること、こういう思いを共有する人が多いことから来ているのではないか。処理すべき情報の膨大さ、そしてS/N比の低さに違和感を感じている人が多いのだと思う。この本は一種、レイドバックの象徴なのだろう。